「模範家庭文庫」が創刊された大正期は、少年少女雑誌、児童雑誌、童話雑誌の世界においても出版の黄金期だったようだ。
大正時代から昭和のはじめごろまでに創刊されたこども向け雑誌で、中島孤島が執筆に関わっていたものだけを挙げてみてもかなりの数になる。
『少女画報』1912(明治45)年創刊 東京社(のちに新泉社)
『中学生』1916(大正5)年創刊 研究社
『世界少年』1918(大正7)年創刊 新光社
『金の船』1919(大正8)年創刊(のちに『金の星』と改題)金の船社(金の星社)
『小学少年』1920(大正9)年創刊 研究社
『オヒサマ』1922(大正11)年創刊 資生堂意匠部/編集 写真芸術社/発行
『少女倶楽部』1923(大正12)年創刊 大日本雄弁会
『幼年倶楽部』1926(大正15)年創刊 大日本雄弁会講談社
などである。
なかでも1919(大正8)年に創刊された『金の船』(および『金の星』)には、中島孤島は20号以上にわたって執筆していて関係が深いので、この雑誌について取り上げてみる。
『金の船』『金の星』の表紙絵は、「模範家庭文庫」で装幀、挿絵を担当した岡本帰一が担っている。内容構成は主に童話だが、野口雨情、本居長世による童謡も毎号連載されている。
(ちなみに『金の船』の当時の定価は1冊30銭、1年分の購読料と「模範家庭文庫」の1冊分がほぼ同じ価格だったとのこと。「模範家庭文庫」がいかに高価だったかがわかる)
この雑誌は、1983(昭和58)年に復刻版が出版されているのだが、それもすでに古本でしか手には入らない。しかし、出版元の金の星社は、2019年からこの雑誌のデジタルライブラリーを公開しているので、ほぼすべての雑誌の内容をデジタルで閲覧することができる。素晴らしい。↓こちらがそのサイト。
10年間にわたって出版された『金の船』『金の星』は、長い間に表紙絵の雰囲気も次第に変わっていっているが、その変遷を見るだけでも面白い。