大正期に中島孤島が関わった児童雑誌のなかで、一つとても気になる雑誌がある。
化粧品会社のあの資生堂から創刊された『オヒサマ』である。この雑誌は、国会図書館にもデータがほとんど載っていないし、辛うじて蔵書を一冊有しているのは東京では日本近代文学館のみのようである。
そんなわけで、まだ現物どころか目次データさえ見たことがない雑誌である。唯一、表紙の写真は資生堂子ども財団のホームページで見ることができた。
資生堂企業編集部/編「資生堂ギャラリー七十五年史・一九一九~一九九四」資生堂1995年3月 によれば、
゛『オヒサマ』は「子と母の雑誌」を副題に掲げた総合的な児童雑誌で、定価は四〇銭、購読料一年分を納めた「オヒサマの会」会員に頒布された。読者像は明らかに、都市圏に住む知識階級の母子。童謡に北原白秋、西条八十。童話に楠山正雄、中島孤島、浜田廣介。戯曲に小山内薫、水木京太、久保田万太郎ら著名な執筆者を配し、資生堂宣伝部の矢部季らが挿絵を担当した。(中略)ほかに、活動写真の撮影裏話や科学読物、空箱を利用した工作の方法、中川紀元による名画解説など、ユニークな記事が目立つ。また、母親むけには、女性解放を唱える論説や芸術・教養に関する記事があり、パリで話題のロシアン・バレエやスウェーデン・バレエも紹介されている。
あまりに高踏的な内容であったためか返本の山を築き、結局翌一九二三(大正一二)年八月号で震災を機に習慣を迎えた『オヒサマ』であるが、童話や戯曲の宝庫としてのみならず、「お子様作品展覧会」とのタイアップの仕方など、児童文化史上、様々な角度から見直されて良い雑誌であるといえよう。”
たった一年あまりで終刊になってしまったという短い命の雑誌だったが、他の児童向け雑誌とは一味も二味も違うユニークな内容であっただけに、どこかに残っているのなら一度は見てみたいものである。