中島孤島は、送別会に参加することで初めて二葉亭四迷に実際に会う機会を得た。
二葉亭四迷のロシア行きに際しては、各文芸誌もいろいろな形でそれを取り上げた。
文芸誌の一つ『趣味』(明治41年7月号)は、「露國に赴かれたる長谷川二葉亭氏」と題して、文士たちにアンケートのような形でロシアに赴く長谷川二葉亭(二葉亭四迷)についての感想を求めている。
そのなかで中島孤島は、「真面目な人」と題して下記の文章を寄せている。
゛二葉亭には作の上では昔から昵懇(ちかづき)だつたが、顔を見たのは送別會の晩が始めてだ。一寸(ちょっと)會つて直ぐ別れたのだから細かい點の分(わか)らう筈はないが、兎に角「眞面目な人」といふだけは分る。尤(もっと)もこれは作や談話を讀んだばかりでも分るが、二葉亭が少くとも今の文學者間に見るやうな陽氣な連中でないといふ感じは顔を見て一層強められた。恐く二葉亭は決して機敏な人ではあるまい、非常に鈍い人で、十年も二十年も同じ所に立つて同じ疑問を孵(かえ)さう孵さうとして、外(ほか)へは擴(ひろ)まらずに内へ内へと入つて行(ゆ)く人だらう。其(その)証拠には『浮雲』時代から「其面影」に至るまで大した変化がない、材料から言つても作風から言つても同じ所を往来してゐる風(ふう)が見える。逍遙が千變萬化一作毎(ごと)に方面を變へて行(ゆ)くのと比べて面白い對照だと思ふ。
恁(こ)ういふ人だから何(ど)うも作には向かない、あの晩も「自分にはもともと文學が向かないのかもしれない・・・タレントの無いのを無理にやらうとするからだ」と言ふやうなことを言つてゐられたが、全く然(そ)う思ふに違ひない。何かやるにノホホンではやつてゐられない、無解決な態度では何(ど)うしても辛抱がならない。といふ質(たち)の人に違(ちがい)ない。
いつか「太陽」に出た談話の中(うち)にも「今の自然主義が人生に觸れやうといふのはよいが、文藝の上作品の上から人生に觸れる必要を感じて人生に觸れなくちやならんと考へて来たのではまだまだ駄目だ、藝術よりも何よりも自分が何(ど)うしても人生に觸れなくちやならんといふ要求を感じて、其の実感の結果が作の上に表はれるといふのでなくちや本物でない」といふやうなことがあつたが、實に同感だ。今のやうな藝術本位の自然主義は何(なん)にもならない、同じ小さな圏の中(うち)をぐるぐる廻りをしてゐるやうなものだ。「文學を自分の死場所とは思へない」とは今の文壇に對する一大警告だと思ふ。”
(以下は現代語訳)
゛二葉亭とは作品の上では以前から親しみを感じていたが、実際に顔を見たのは送別会の夜が初めてだった。ほんの少し会ってすぐ別れたので、細かい人物像までは分かるはずもないが、とにかく「まじめな人だ」ということだけは分かった。もっとも、それは作品や談話を読んだだけでも分かることだが、二葉亭が少なくとも今の文学者たちによく見られるような陽気なタイプではないという印象は、実際に顔を見てさらに強くなった。
おそらく二葉亭は決して機敏な人ではないだろう。むしろ非常にじっくりした人で、十年も二十年も同じところに立って、同じ疑問を抱えながら考え続け、外へ広がるよりも内へ内へと深く入り込んでいくような人なのだろう。その証拠に、『浮雲』の時代から「其面影」に至るまで、それほど大きな変化がない。題材の面から見ても作風の面から見ても、同じ領域を行き来しているように見える。これが、一作ごとにさまざまに作風や方向を変えていく逍遙と比べると、非常に面白い対照である。
こういう人だから、どうも創作には向いていないのだろう。あの晩も「自分にはもともと文学が向いていないのかもしれない……才能がないのに無理にやろうとしているのだ」といったことを話していたが、本人も本当にそう感じているに違いない。何かをするにも、おおらかに構えてはいられず、答えの出ない状態のままではどうしても我慢できない、そういう性質の人なのだろう。
以前『太陽』に載った談話の中でも、「今の自然主義が人生に触れようとする姿勢はよいが、文学作品として人生に触れる必要を感じたから人生に触れようというのではまだ不十分だ。芸術のためというより、自分自身がどうしても人生に触れずにはいられないという切実な要求があって、その実感の結果として作品に表れるのでなければ本物ではない」といった趣旨のことを述べていたが、まったく同感である。
今のように芸術そのものを目的にした自然主義では、何の意味もない。同じ狭い範囲の中をぐるぐる回っているようなものだ。「文学を自分の死に場所とは思えない」という言葉は、今の文壇に対する重大な警告である。”
孤島はまた別の文芸誌『東西南北』(明治41年7月号)にも「長谷川二葉亭を送る」と題した長い文章を書いている。主旨としては上記の内容と重なる部分も多いが、二葉亭四迷の作品についても踏み込んで書いているので、引用してみよう。
゛(前略)二葉亭の作と翻譯とは、以前から愛讀した。二葉亭の経歴と人物とに就ても、直接に二葉亭を知つてゐる師友から、屡々(しばしば)聞いたことがある。其自分から面白い人だとは思つて居た。或點に於ては確かに偉い人だと思つて居た。一度會つて話を聞きたいとも思つた。併し二葉亭の思想と我々の思想と同じ鼓動を打つて居やうとは思はなかつた。
初めてそれを感じたのは去年の暮朝日新聞で、『平凡』を讀んだ時だ。其時に思つた、これは自然主義の上を行(や)つて居るんだなと『平凡』には若い自然派に見るやうな破壊的な鋭い所は無い、のみならず、折々自然派を冷笑するやうな所がある、自然派ばかりではない、一切の文學を見貶(みくび)るやうな氣が見えた。所が全篇を讀んで行くと其の根本の調子は飽(あく)までも自然主義で行(や)つて居る。其の調子が如何(いか)にも沈着(おちつ)いて、如何にも真面目で、世間を冷笑するやうで、同時に自分自身を冷笑してゐるやうで、それがまた現在讀んで居る我々の心をも見抜いて居るやうで、何とも言えない心持をさせる、讀み了(おわ)つて考へた、考へて見たが何を言はれたのか分らない。
其の次に讀んだのが、『太陽』に出た談話だ。『日本人には革命は夢にも出来ない。』オヤ、そんなことを思つて居るのかと思つた。(中略)
『もう一段真剣にならなくちやだめだ』二葉亭は確(たしか)に此の困難を見抜いて居る。「平凡」は藝術を棄(すて)て居る。「平凡」の自白が我々の胸に犇々(ひしひし)と迫るのは其處(そこ)に虚偽の無い証拠ではないか。
それにも拘らず彼は送別會の席上で、自分が文學者でないと言ふ意味を述べて『自ら己を欺いて居る所もあらう』と言つた。『文學が嫌ひだといふのは、つまり文學が解らないといふことなのだ』とも言つた。『筆を執つて紙に蒞(のぞ)むと何(ど)うも真剣になれない、何處(どこ)かに空虚があるやうに思ふ』とも言つた。
其の時初めて二葉亭に會つて、其の人の口から其の人の話を聞いて、二葉亭は我々の思想上の先覺者だといふ感が愈々(いよいよ)深くなつた。
我々は最早文藝では満足が出来ない。「文學」が嫌だといふのは、文學が解らないからだ』。併し世間何人か『文學が解る』と言ひ得るものがあるか。解らぬ文學に満足し得るものは幸福な人である。
こんなことを思つて、書いてゐる時に、我が二葉亭はもう日本には居ない。遙(はるか)に露西亜の空を望んで無量の希望と活動の力に充ち輝いて居る二葉亭の面影が眼に見えるやうだ。「日本人には革命は夢にも出来ない』——此の一語の中には無限の意味がある。” (『東西南北』明治41年7月1日より)
(以下は現代語訳)
