中島孤島の軌跡

明治生まれの文学者中島孤島の作品と人生をたどります

2026-04-01から1ヶ月間の記事一覧

「徳田(近松)秋江に與ふ」

近松秋江は、「文壇無駄話」と称して、新聞や雑誌に文壇内の消息や裏話を随筆に書き、それが好評も博していた。初めて書いたのは明治41年1月でその連載は明治43年3月まで続いた。そして同様の文壇ばなしは、形を変えてその後も書かれ、昭和に入ってからも秋…

正宗白鳥と近松秋江(2)

近松秋江は、回想録のなかで「正宗白鳥氏のこと」と題して書いている文章があるので、それを引用してみよう。これがかかれたのは、大正13年のことだから、秋江48歳の頃である。 ゛今日では、正宗白鳥君の早稲田出身者としての文壇に於ける地位が、はつきり、…

正宗白鳥と近松秋江(1)

中島孤島の東京専門学校の同窓生である正宗白鳥と近松(徳田)秋江は、孤島より2年あとに卒業したが、実際の年齢はあまり変わらなった(近松は孤島より年上)。それもあってか、親しく交流していた時期があったようだ。 白鳥と秋江はどちらも岡山県出身で同…

虚無主義作家 正宗白鳥

中村星湖の回想に「・・中島孤島氏は、正宗白鳥氏と親しいらしく・・」とあったように、実際に東京専門学校の同窓生である正宗白鳥と中島孤島はある時期においてかなり交流があった。 正宗白鳥は、孤島と同じ年に東京専門学校に入学したので、同級生だともい…

後輩 中村星湖

二葉亭四迷の送別会に参加したときの印象を後にだいぶ年月を経てから追憶していた中村星湖は、中島孤島よりも6歳ほど年下で、早稲田大学文学科を卒業しているので、孤島にとっては後輩にあたる。 60年余りも前のことを振り返って描写することができたのは、…

文壇の異端児 岩野泡鳴

二葉亭四迷の送別会には総勢39名の文士たちが参加したが、そのなかに岩野泡鳴という小説家がいた。彼は、言ってみれば文壇のなかではいろいろな意味でかなり異色の存在だった。 泡鳴は自然主義文学の小説家の一人とみなされてはいるが、自然主義文学を推し進…

「長谷川二葉亭を送る」

中島孤島は、送別会に参加することで初めて二葉亭四迷に実際に会う機会を得た。 二葉亭四迷のロシア行きに際しては、各文芸誌もいろいろな形でそれを取り上げた。 文芸誌の一つ『趣味』(明治41年7月号)は、「露國に赴かれたる長谷川二葉亭氏」と題して、文…

二葉亭四迷送別会

二葉亭四迷は、明治41年6月に朝日新聞社の特派員としてロシアに赴任することになった。 これを受けて、文壇での友人内田魯庵、田山花袋らが発起人となって、上野の精養軒で送別会が開かれた。 この送別会の様子は、当時の文芸誌から詳細に知ることができる。…

『新小説』の「寸鐵」欄(3)

『新小説』の「寸鐵」欄は、噂話や個人に対する批判だけではなく、文壇内の消息やその事柄についての記者による感想が載る欄でもあった。 明治42年7月号においては、赴任先ロシアから船で帰国する途上、惜しくも45歳の若さで命を落とした二葉亭四迷について…

『新小説』の「寸鐵」欄(2)

文芸雑誌『新小説』の「寸鐵」欄は、自然主義文学推進に反抗、批判する主旨で設けられた感があり、非難対象の筆頭は島村抱月であったが、抱月だけでなくその門下生である相馬御風なども槍玉にあげられている。 ゛相馬御風といふ男は抱月の真似をするに妙を得…