グリム童話と並び称されるアンデルセンの童話は、代表的なものに「人魚姫」「みにくいあひるの子」「裸の王様」などがあるが、日本に紹介されたのは、やはりグリム童話と同様に明治期からである。
中島孤島はアンデルセンの童話についてもいくつか翻訳を残している。
まずおそらく最初に書いたのは、文芸雑誌『新小説』掲載の『雛菊』だと思われる。
これは当時執筆を担当していた「海外文壇」欄であり、童話紹介とはいえ、ほとんど大人向けに書いている。
冒頭を少し引用してみる。
゛さあお聞きなさい。
お前も多分見て知っておいでだろうが、あの田舎の、それ路傍(みちばた)にある百姓家ねー、前には少しばかりの庭と、ペンキで塗った柵のある。その直ぐ側(わき)の、溝の縁に青々と生え揃った美くしい草の中に、一本の小さな雛菊が咲いて居たのさ。・・・”
(『明治期アンデルセン童話翻訳集成』第2巻 ナダ出版センター 1999年より)
そして『新小説』の翌月5月の「海外文壇」欄には「醜い家鴨」が紹介されている。これはいわずとしれた「みにくいあひるの子」の物語である。
こちらも童話とはいえ、やはり「新小説」への掲載ということは、やはり大人を想定して書かれているのだろう。
゛美くしい夏のことでした。麦の畑の一面に黄色い間には、所々まだ青い燕麦(からずむぎ)まじり、緑りの牧場には、枯草が山のやうに積んであり、鸛(こうのとり)はあの長い赤い脚をして、彼方此方(あっちこっち)と徘徊(うろつい)て居る。此の畑と、牧場の周囲(まわり)は、一面の林に取囲まれて、其の林の中には、深い湖が鏡のように拡(ひろ)がって居ます。・・”
(『明治期アンデルセン童話翻訳集成』第2巻 ナダ出版センター 1999年より)
この『醜い家鴨』はのちに『変な家鴨(あひる)』というタイトルに変えられ、それを表題としてほかのいくつかのアンデルセン作品を含んだ作品集として、大正10年に出版されている。
次回、それについても触れてみたい。