模範家庭文庫の思い出をエッセイ等に書いている人のなかで、詳しくは書いていないが、書名等に簡単に触れているケースについてもここで紹介してみる。
゛冨山房の豪華本の模範家庭文庫のなかで愛読したのは、平田禿木訳の「ロビンソン漂流記」だったし、「アラビヤンナイト」ではシンドバッドの航海だった。「西遊記」も好きだった。ラヴシーンを活動写真で何度もみたせいか、「グリム童話集」ではたよりなくて、王子さまに思いをよせる人魚の話などのでてくる「アンデルセン童話集」のほうが好きだった。“
※松田道雄氏は1908(明治41)年生まれの医師、育児評論家、歴史家。
(日野原重明「十歳のきみへ」冨山房インターナショナル 2006年 あとがきより)
゛わたしが小学生のころ「新訳絵入り模範家庭文庫」シリーズで「アラビアンナイト」や「ロビンソン漂流記」「ガリバア旅行記」など、胸をおどらせて読みふけった本を出版していた冨山房から出すことができる縁をうれしく思います。”
※日野原重明氏は1911(明治44)年生まれの医師。聖路加国際病院名誉院長。
(大木実「ひとりの先生と一冊の詩集」『詩学』1980年8月号に掲載 より)
゛大正なかばの小学校にはまだ、児童のための図書室の設備も蔵書もなかった。恵まれた少数の家庭の児童を除けば、私ども下町の多くの少年は本を持たず読書の習慣をもたなかった。教科書以外の本を知らなかった。私の父母も本を読まず家には一冊の字引もなかった。(中略)学校の近くに教会があり、教会のなかに児童図書室があり、そこへゆけばそこの本を自由に読めることを私は知った。そこで私は「アンデルセン童話集」を読み、「グリム童話集」を読み、「アラビアンナイト」を読んだ。「日本童話宝玉集」という本を読んだ。これらの本は大形(菊版)の厚いきれいな本であり、「絵入模範家庭文庫」という叢書であること、冨山房発行ということを知った。そしてこれらの本の訳者であり編者である、杉谷代水とか、中島孤島とか、楠山正雄とかいうひとの名に親しみを覚えた。(私はおとなになって改めてこれらの本を買い求めた。寿命のながい本であった。)
※大木実氏は1913(大正2)年生まれの詩人。
(木下順二「続・私の読書遍歴」日本読書新聞 黎明書房1953年 より)
゛はっきりとした読書の記憶は小学校の三年である。その年僕は大病をし、見舞にもらった冨山房「新訳絵入模範家庭文庫」の、『アンデルセンお伽噺』と『西遊記』と『ロビンソン漂流記』とを実に耽読した。今しらべてみると、まだ大震災前のその頃で定価が三円八十銭だから、大へん豪華な本だった。ロビンソンの訳者は平田禿木氏、これは当然として、アンデルセンは長田幹彦氏だった。挿絵はたぶん岡本帰一氏だったと思うが、とにかく挿絵文章ともに実に僕を楽しませてくれ、幼い僕の中にいろいろの幻想を湧かしてくれた。この三冊は僕にとって、少年の日の幸福な記憶である。
※木下順二氏は1914(大正3)年生まれの劇作家、評論家。
(林健太郎「私の読んだ本」 現代学生講座第3「学生と読書」河出書房1956年に所載)
゛この他当時としてはすこぶる高かつた冨山房の「模範家庭文庫」を何冊も買つてくれたので、当時の私の童話的教養は相当なものであつた。その代り学校へ行くと、猿飛佐助や霧隠才蔵などという友達の話がわからなくて少しひけ目を感じた。”
※林健太郎氏は1913(大正2)年生まれの歴史学者、政治家、評論家。
(岡上鈴江「父未明とわたし」樹心社 1982年より)
゛「あなたは子どものころ、いろいろな本や雑誌をよんだでしょう」と、聞かれることがあるが、わたしはこの眼鏡の子ほど読書家ではなかったし、一時、縄跳びに熱中して、戸外でまっくろになってあそんでいた。(中略)しかし、ときどきほかの子が羨むほどの立派な本を父からもらうことがあった。近くに住んでいられた中島孤島さんがもってきてくださった『ギリシャ神話』や『グリムお伽噺』の本の重味はいまも憶えている。“
※岡上鈴江氏は1913(大正2)年生まれの英米児童文学翻訳家、作家。児童文学者小川未明の次女。小川未明と中島孤島は交友関係にあった。
このように何人もの人たちの愛読歴を同時に見ていくと、明治時代末期から大正前半に生まれたこどもたちをとりまく読書環境も浮き彫りになる面があり、それもなかなか興味深い。