「文藝に現れた夏」で、二つ目に取り上げられている作品はシェークスピアの「真夏の夜の夢」である。
゛併(しか)し欧州近代の文芸で、名実共に夏を実現したものとして、何人(なんびと)にも知られて居るのは、シェークスピアの「真夏の夜の夢(ミッドサマーナイトドリーム)」であろう。此の作は作者の青年期の喜劇だといわれるだけに、シェークスピア全集中に殆んど類のない程に、若々しい快活な、夏の気分に充ちた作である。(中略)”
と書き出しはこのように始まり、続いてこの物語の概要が生き生きとした描写を絡ませながら語られている。
たとえば、
゛此の夢幻劇に一つの要重な役目を演じるのは悪戯者(いたづらもの)のパックである。パックは一名をロビン・グットフェローともホブゴブリンともいい、変幻出没自由自在の小魔で、よく農家へ入り込んでは、若い娘が絲でも紡いでいると、そっとその仕事を手伝って十二時間もかかる仕事を、六時間位で仕上げさせてやるので、娘は翌朝起きて見て驚いて目を円(まる)くする。かと思うと、村の女房達(かみさんたち)が骨を折って絞って置いた乳汁(ちち)の上皮を抄(すく)って取ったり、とんでもない時分に石臼をごろごろいわせたり、牛酪(バタ)を製(つく)る女房(かみさん)の邪魔をして、空汗(むだあせ)を流させたり、肝腎の酵母(もと)を摘み出して、手製酒(てづくりざけ)を出来損わせて見たり、妙な火光(ひかり)を見せて夜路(よみち)に人を迷わせたりして、まんまと欺(かつ)ぎ了(おわ)せると、「ホ丶丶丶丶丶」と高笑いをして消えてしまう。”
といった具合である。
ある程度内容の部分的紹介に紙面を割いたあとに、下記のように結んでいる。
゛此の戯曲を読んで喚び起される情調は、如何(いか)にも其の題名に相応(ふさわ)しい、夏の気分に充ちたものであった。真(まこと)に盛夏の夜でなくては見られそうもない夢の世界であった。其処(そこ)に跳梁する妖精の、淡い、夢のような気分と、現実界の恋のロマンスが、一色(ひといろ)に溶けて何ともいえぬ柔らかな諧調を奏で出づる所に、読者はあの強烈な「アラビヤン・ナイト」とは、また別様(べつよう)な魅力を感ぜずには居(お)られない。一は飽までも幻奇瑰麗(げんきかいれい)な東洋の情趣を帯び、一は飄渺(ひょうびょう)として、淡い、夢を見るような南欧の情趣に浸されて居る。(後略)”
単に「夏が色濃く現れた作品」を紹介しているにとどまらず、このシェークスピアの「真夏の夜の夢」を読んだことのない者にとってみれば、ちょっと読んでみたいと思わせるような紹介になっているところが興味深かった。