『日本百科大辞典』の最後の巻にある「日本百科大辞典編纂の由来及変遷」を執筆したのは、三省堂書店編集責任者の斎藤精輔である。
辞典の構想がどのように始まり、どのような人たちが関わり、また完成までにどのような出来事があったのかなどをかなり詳しく記している。
辞書や事典を編纂することがどれだけ大変な事業なのかを端的にあらわすエピソードもちりばめられているが、とくに印象的だった部分を少し抜粋してみる。
゛当時岡崎遠光氏は日韓瓦斯株式会社の重役として朝鮮に在りしが、其赴任後六箇月にして一たび帰朝せし際、一日編輯所に来りて、予(=斎藤精輔)が六箇月以前と同じ室、しかも同じ位置を動かずして図書山積の中に没頭しつつありしことを見ていたく驚異せられたることありき。実際同氏が東奔西走席暖かなるに遑(いとま)あらざりし六箇月の間に、予は一歩も屋外に出でず日出より夜半まで兀々(こつこつ)として編輯に従ひつつありしなり。此間に冬去り春去り、予の始めて市街に出づるや、満目すべて異境なるを覚え、歩行する男女が悉く時ならぬ扮装をなせるを感じたり。予は龍宮より帰りし浦島子の如く殆ど日月の移りしを知らざりしなり。此の如きは、独り予一人のみならず、予と共に編輯に従いし諸氏は、何れも同一の努力を積み、日曜・祭日の別なく毎日朝は八時より夜は十一時に至るまで編輯室に閉居するが故に、殆ど家庭団欒の楽を絶ち、中にも住宅の稍(やや)遠隔せる者に在りては、帰宅すれば既に夜半を過ぎ、数月間一家に住いながら殆ど子女と談を交うる機会さえなき有様なりき。中には其妻女より予に向て盛に憤怒の声を洩らし来れるものもありたり。”
要するに、編集責任者の斎藤精輔においては、知人が6か月後に訪れたら、6か月前と寸分たがわず同じ位置で同じように仕事に没頭しているところを見てひどく驚かれた。それは誇張ではなく、実際にその間はほとんど外出することなく部屋に文字通り籠りきりであり、いざ外に出てみると、世の中や季節が移り変わったことさえ知らなかったことに気づき、まるで浦島太郎になったような気持ちになった、という話である。
また編集責任者だけでなく、この辞典の編集にかかわる人たちは、みな尋常でないほどの勤務を余儀なくされ、家庭を顧みないほど昼夜の区別なく編集室に籠り、それがために妻からは苦情や怒りの声が届いたほどであった、ということらしい。
まるで昭和の高度成長期の猛烈サラリーマンのような働きぶりである。
当時明治末期から大正時代にかけては、現代よりもずっと時間の流れがゆったりとした時代であったことが想像され、それを考慮すると、いかにこの勤務状況が尋常ではなかったことが窺われる。この事業にかかわる仕事がいかに大変であったかを物語るエピソードだ。