前回取り上げた山本夏彦氏の文章のなかに、飯沢匡氏が登場したが、飯沢氏も当然ながら、模範家庭文庫に強い思い入れを持つ読者の一人だった。そして、自身もその著書のなかで「模範家庭文庫」について触れているので、今回はそれを取り上げてみる。
゛楠山正雄の創設した冨山房の「模範家庭文庫」の第一回発刊の「アラビアン・ナイト」(上下)二巻を読んだ(いや読んだだけではない。目にし手に触れた)ことが、如何に私の幼児期の生活に大きな影響をもたらしたことか。”
(飯沢匡「権力と笑のはざ間で」1987年 青土社 「子供の本こそ贅沢に」の項より)
とここまで言い切っている。そして、その影響は幼児期の生活だけではなく、仕事人となってからも続いていることが記されている。
゛私が今でも子供には最高級のものを与えなくてはいけないと固く信じ「子供だまし」という言葉に代表される手抜きを排しているのは、この「模範家庭文庫」から受けた衝動からに他ならない。”
飯沢氏の「模範家庭文庫から受けた衝動」というのは、そのお話の内容からだけではなかった。「目にし手に触れた」とあるように、装幀および挿絵を手掛けた画家の岡本帰一の仕事ぶりについても同様だった。
※岡本帰一氏は1888(明治21)年生まれの童画家。「模範家庭文庫」のほか、「金の船」や「コドモノクニ」等で挿絵や装幀を手掛けた。
゛それにしてもこの「模範家庭文庫」の造本は立派で、(中略)この装幀造本に岡本帰一氏が発揮した腕は私に強く作用した。”
゛(前略)当時の幼児としては岡本帰一のリアリズムに根ざした形象に深く影響されたのであった。瀬田氏の研究によれば岡本はデュラックとか英国で人気のあったA・テッカムの筆致を取り入れているということである。私は何しろ西欧志向で何でも西洋の窓口として異文化吸収につとめていたから、この岡本の描く西洋風俗は何よりの心の滋養で、文章を読み心に像を描く時に大きな助けになったのであった。”
゛のちに私が輸出の人形絵本やテレビコマーシャルをアメリカの広告会社から委嘱されるようになった時に、この幼児期から観察した西洋風俗への正確な観察は大へん役に立ち、風俗や建築様式についての誤りを指摘されずに済んだのであった。”
幼児期に読んだ本がこれほどその後の人生に影響を及ぼすのであれば、飯沢氏が「子供の本こそ贅沢に」とうたっていることは納得するものがあった。「贅沢に」というのは、言い換えれば「できる限りの本物を」ということになるだろうか。