中島孤島が大正時代に神話のなかでもまずは「ギリシャ神話」の翻訳に力を入れてみようと考えた経緯は、前記リストのなかの一冊のまえがきに示されていた。
゛はしがき ——本書を繙く若い人々に――
(前略)そんなわけで、今日でもヨーロッパの文学の少し古いところを研究しようという者は、誰でも一わたりはギリシヤ神話の梗概だけでも心得て置く必要があります。そういうところから、そういう人々の手引になるような書物だの辞書だのが、それぞれの国語で、幾種となく作られました。(中略)
けれども私がこの書物を書こうと思いついたのは、それとは別な動機から来たのでした。そういう目的で作られたものには、これまでにも、亡友杉谷代水がボールドヰンの「ギリシヤ古潭」を補訳したものもあれば、野上彌生女史がバルフィンチの「伝説の時代」を訳したものもあります。どちらも原書は英文学を修めようという学生の教科書又は参考書として書かれたもので、ギリシヤ神話の知識を得ようという人には、適当な読み物です。(中略)
(杉谷代水氏の書かれたものは)さすがに新体詩人であった故人の筆だけに、全篇が美しい、詩のような、調子の高い散文で綴られているのですが、それが何となく教科書めいた全体の組織と調和しないような所があつて、読みながら折々妙な感じがしました。
その時私はふと、「いっそ童話を書く気分で、ギリシヤ神話を書いて見たら?」と思いましたが、そのままで、忘れるともなく過ぎて行きました。(中略)
私は童話には、ずっと以前から、かなり深い興味を有っていました。そのうちにもドイツの童話を蒐集したグリム兄弟の行き方と、「イギリスのグリム」とも名くべきアンドルー・ラングの態度には、いろいろな点から、敬意を表していました。私が「童話を書く気分」といったうちには、この二人の見せてくれた手本が思い浮べられていたことは、いうまでもありません。ああした客観的な態度、ああした素朴な筆つき、ああした自然の情味をもたせて、ギリシヤ神話の一つ一つの挿話を描いて見たいというのが、私のその時の願いでした。(中略)
現代の生活に欠乏したものが詩歌だとすれば、そして童話に対する今の読書界の要求が、果してこの詩味の欠陥を充たすものだとすれば、ギリシヤ神話の神々は、かつて文芸復興期のヨーロッパ人の心に、新しい美と生命とを吹込んだように、現実の圧迫に疲れ果てた現代の日本人の胸にも、新しい詩の泉を湧かせる力をもっているでしょう。あの偉大な大国主の建国の神話や、あの夢のような浦島の海宮行きの説話に、若い憧憬のひとみを輝かす現代人の心は、若いギリシヤ民族の天才を反映するギリシヤ神話の美と力とを、同じような心持で受けいれるに違いないと信じます。(後略)”
※杉谷代水は1874(明治7)年生まれの詩人、劇作家、翻訳家。冨山房の編集者でもあったが、40歳で病没。東京専門学校(現早稲田大学)卒業で中島孤島の先輩でもあり、友人でもあった。
※アンドルー・ラング(Andrew Lang)は1844年生まれのイギリスの詩人、小説家、評論家、民俗学者。
「グリム童話」を訳したことがのちに「ギリシャ神話」を訳していくことに間接的ながらもつながっていったことが窺えるのと同時に、ある種の信念——教科書的に学ぶというのではなく、神話の「詩味」が現代人の心の糧に寄与するのではないか―—のもとに「神話」というものを訳していこうとする筆者の動機と意気込みが感じられる文章だ。
次回は、この「ギリシャ神話」と、とある文豪にまつわるエピソードをとりあげてみたい。